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さよならは云わないで  / モダン・フォーク・フェローズ [日本のフォーク]

 60年代の後半、エレキとGSブームの前後、カレッジ・フォークという名前で紹介された音楽がありました。
 エレキ・ギターではなく、フォーク・ギター、バンジョー、ウッド・ベースといった楽器で、ピーター・ポール&マリーや、ブラザース・フォア、キングストン・トリオなど、おもにアメリカのモダン・フォークをコピーしたり、まれにオリジナルを歌ったりしていました。
 「学歴」を問わない「エレキ」や「GS」と違って、こうしたグループは大学、とくに有名私立大学で結成されたため、「カレッジ」という名前がついたのではないでしょうか。
 モダン・フォーク・フェローズもそんなグループのひとつで、歴史にその名を残す名グループのひとつと言っていいでしょう。
 
 そんなモダン・フォーク・フェローズの3連のバラードです。

 さよならは云わないで 

 時代を感じますよね。(^^)
 それと、60年代のこの時期に、こういったカレッジフォークにうつつをぬかし…失礼、研究していたのは、有名私立大学の学生=お金持ちのボンボン(失礼)が多く、そのせいか70年代の、いわゆる「4畳半フォーク」にくらべ上品な感じがすると思いませんか?

 このグループのメンバーにも、近年惜しくも亡くなった作家の景山民夫さんだとか、のちに東京の某放送局に入り現在は関連会社の常務(?)のかただとか、そういったいわばセレブ系の人たちが在籍していたんですね。
 当時は、そういったケースが多く、ザ・リガニーズとか、PPMフォロワーズとか、フォー・ダイムズとか、有名どころではブロードサイド・フォーなどもありました。

 そういえば、当時こういったグループの人たちが持っていた楽器って、びっくりするようなものがありました。
 マーチンのD-28は、今でこそそんなに珍しくありませんが、当時学生でありながら、すでにこんな楽器を持っている人がいました。
 1ドル360円の時代にです。(^^;
 67、8年ですから、まだ最高の木材が使われていた、ビンテージ物です。
 やっぱり高偏差値有名私立大学生は違いますね。

  ひとつ忘れてました。
 こういったカレッジフォークのほとんどが、例のアイビー・ファッションでしたね。
 あのころアイビーだった人の多くは、いまもアイビーだったりします。
 やはりスジを通している人って、カッコイですね。
 
 
 


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望郷 / 山崎ハコ [日本のフォーク]

 70年代の真ん中あたり、フォークもニューミュージックに押され、ちょっと下火になったかなという頃、なんともいえないほどその歌に引き込まれる女性シンガーが登場しました。
 それが山崎ハコでした。
 じつは70年代、フォークとくに日本のフォークには、あまり興味がなくなって、ほとんど聴かなくなっていました。
 でも、故・林 美雄さんの番組「パック・イン・ミュージック」で紹介された彼女のアルバムは、聴き入ってしまいました。
山崎ハコ.jpg
 一番印象的だったのは、番組の「ファンの集い」で、ゲストとして登場したときの衝撃でした。
それまでほとんど無名の彼女が、TBSホール満員の聴衆の前で歌い終えた時、その拍手と歓声はかつて見たことのないほどの驚きと感動に満ちていました。
 このときは、たしか「金曜パック2部」が終了して、「水曜パック」として復活してからだったと思います。
 「金曜パック2部」「水曜パック」なんて、もう50代以上で、東京の深夜放送を聴いていた人にしかわからないかもしれませんが、2部というのは「パック・イン・ミュージック」の午前3時から5時まで、水曜パックは水曜日(火曜日深夜)午前1時から3時までの放送のことです。
 2部があったころは、1時から3時までを1部、3時から5時までを2部と呼んでいました。
 
 望郷 山崎ハコ

 この曲は、デビューアルバム「飛びます」のA面1曲目(CDでも1曲目)に入っています。
当時、こういったマイナーでありながら、その後の音楽をリードすることになる、山下達郎のシュガー・ベイブや例のナイアガラ(大瀧詠一)などのアーティストのレコードを出し続けていたのが、エレックレコードという会社でした。
 ギタリストで、ギター教則本でもおなじみの浅沼勇さんや、文化放送のアナウンサー故・土井まさるさんなどが出資して設立した会社で、最初のレコードが確か土井まさるさんの「カレンダー」という曲だったんじゃないでしょうか?
 そのあと、吉田拓郎、泉谷しげる、古井戸、海援隊、つボイノリオそして上のシュガー・ベイブやナイアガラ・・・と、その後のフォーク・ニューミュージック界を賑わすことになるアーティストが、つぎつぎとデビューしていきました。
 でも、肝心のレコード会社のほうが傾いてしまって、ちょうどこの山崎ハコの出たあとに消滅してしまいました。
 ところが、最近そのエレックが復活しましたね~。
 社長は、吉田拓郎の「青春の詩」などのバックでドラムを叩いていた萩原克己さん!
 「かつみ」さんではありません、「かつき」さんです。
 当時所属だった、つボイノリオさんまで、昨年ラジオで間違えていました。
 お元気でしょうか克己さん、酒ばっか飲んでちゃダメですよ。(^^)
 
 


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池上線 その後 [日本のフォーク]

 ここ数日、なぜか古い記事への閲覧者数が多く、いったいどうしたんだろうと思っていました。
古い記事というのはこれで、昨年10月12日に書いたものです。
 この記事の閲覧数は、4月21日22時現在「484」にもなっています。
 こんな古い記事に、なぜ閲覧者が増えたのか・・・やっとわかりました。
先日の土曜日の朝日新聞「be」に、この西島三重子さんの「池上線」に関する記事が出ていたからだったんですね。
 あの記事から、パソコンで検索をして、このサイトにまで、見に来てくださったようです。
 やはりメジャーな新聞の力はすごいですね~。
 こんなところまで影響が出てくるんですから・・・・。
9737313.jpg
 「池上線」というのは、もう30年以上前のヒット曲ですが、そのヒットの仕方がゆっくりとしたペースだったことや、哀愁を帯びた曲調だったこともあり、当時から「歌謡曲」の番組でも、よくオンエアされました。
 昨年、この曲を取り上げた時、YOUTUBEにはなかったのに、いまみたらいくつか出ていました。
また、「池上線そのもの」の映像がいっぱいでていましたね。
 今ブーム(?)の「鉄ちゃん」のみなさんがアップされたんでしょうね。

 朝日新聞によると、この「池上線」には、その背景にいろんなドラマがあったようですね。
詳しいお話は、ぜひ朝日新聞で(^^)
 池上線 西島三重子

 やっぱり良い曲ですね。
 
 


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海は恋してる/ザ・リガニーズ [日本のフォーク]

 60年代の終わりごろ、フォークというよりカレッジ・ポップスというジャンルがちょっとしたブームになりました。
 その代表的なナンバーが、この「海は恋してる」です。
某高偏差値大学のフォークソング同好会の所属だったザ・リガニーズ、メンバーを見ても、あれっ?どこかで見たぞ・・・というような、その後の有名人の名前が何人もありますね。
 また、年代によってメンバーが替わっていたりするんですが、その中にも有名人がいたりします。
さすが某高偏差値大学ですね。
 またこの同好会のメンバーには、某女子大の同じような同好会にギターを教えに行って、そこの女子大生とグループを作り、デビューした方もいらっしゃいますね。
 その女子大の学生さんも、のちにソロ・シンガーになったり、ギターを弾いていた方のひとりは、いまは「事件現場」で大活躍なさっています。
 さすがですね、やはりエリートは違いますね!
  それにしても、この曲、当時は本当によく聴きました。
もちろんラジオからですが・・・。

 ちなみに、この同好会からは、フォークソング、カレッジ・ポップスだけではなく、リガニーズから10数年後にはヘビーメタル(?)の悪魔(?)や、スキンヘッドの方のグループまで登場しました。
 さすがです。

 すみません、メンバーの名前などは個人情報(?)ですので、控えさせていただきました(^^)


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白いギター/チェリッシュ [日本のフォーク]

 パック・イン・ミュージックやオールナイト・ニッポンなどの深夜放送がスタートする前、60年代の真ん中あたりに、「真夜中のリクエストコーナー」というラジオ番組がありました。
 DJは土居まさるさんという、文化放送のアナウンサーでした。たしか、みのもんたさんの先輩に当たるはずです。
 当時すでにラジオ少年でしたが、地元関西の番組に飽きて、いろいろ東京のラジオ番組を聴き始めていました。
 そんななかで土居さんの番組はテンポの良さと、いわゆる「放送用の言葉」ではない東京の若者の言葉使いが新鮮で、すぐとりこになってしまいました。
 土居さんのシャベリは、たくさんの人に影響を与え、番組も「若者向け」が増え、その後の「深夜放送時代」へと進んでいったのです。
  
 あ、白いギターでしたね。(^^)
もうすぐ出てきますので、しばらくお待ちを・・・。
 やがて土居さんがテレビに進出して「TVジョッキー」という番組が始まりました。その番組には「奇人変人」というコーナーがあって、いろんな「特技」をする素人が登場し、いちばんおもしろかった人にプレゼントしていたのが、白いギターでした。
 当時、70年代の真ん中あたりには、この「白いギター」が、若者のアイテムのひとつだったのです。
あの頃のアイドル歌手のシングル盤などには、この白いギターを持った写真がいくつかありましたね。
 さて、そんな白いギターをそのままタイトルにしたのが、チェリッシュでした。

 この3連の名曲「白いギター」は、チェリッシュの代表曲のひとつといっていいでしょうね。

 ところで、土居まさるさんですが、近年「土居まさるのラヂオデイズ」という番組が始まり、名古屋の放送局でもネットしていたため、よく聴いていました。でも、1999年、病気のため58歳という若さで亡くなってしまいました。
 その3年後、もうひとりラジオの仕事をする上で大きな影響を受けたTBSのアナウンサー林美雄さんもなくなってしまいました。しかも土居さんと同じ58歳で・・・。
 
 すみません、チェリッシュについては、レコードも持っておりません。
ほとんどわからないのですが、フォークとアイドル歌謡曲の真ん中のようなポジションで、ヒット曲もたくさんありますね。
 そういえば、パック・イン・ミュージックの仕事をしていたとき、ADのひとりに、以前このチェリッシュのボーヤ(楽器を運んだりこまごまとしたことをする仕事)をしていたという人がいましたっけ・・・。
 
 


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池上線/西島三重子 [日本のフォーク]

 関東地方に住んでいる人以外は、池上線といわれても、それがどこにあるのか、いや鉄道の名前ということすらわからないかもしれません。
 小田急線、東横線、京王線、目蒲線、大井町線などとともに、山手線の駅から郊外へひろがる私鉄のひとつですが、地方に住むものとしては、なかなかイメージするのが難しいですよね。
 池上線は、山手線五反田駅から蒲田までの路線で、車窓から見ていた印象では、庶民的な町並みが多かったような気がします。
 じつは90年代に、この池上線の近くに住んでいたのです。
でも、通勤で使っていたのが大井町線だったため、ふだんはそちらばかりで、池上線はほとんど使うことはなかったのですが、そんな印象があります。
 もう10年以上前のことで、だんだん記憶が怪しくなってきています。(^^)
そういえば、この10年の間に新しい地下鉄ができたり、名前が変わったりしているみたいですね。

 さて、そんな私鉄の名前をタイトルにしたこの曲、シンガーソングライター西島三重子さんの代表曲として、フォークファンのみならず歌謡曲ファンの間で今も人気の高い作品です。

 この曲、深夜の歌謡曲番組でも、よくリクエストが来ていました。
なんんというか「かけやすい曲」で、80年代にもよくかかっていました。
池上線(試聴)
 ところで、この西島三重子さん、今も歌手活動なさっているんですね。検索してみたら、サイトが見つかりました。
 西島三重子公式ウェブサイト


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そっとおやすみ/ のこいのこ [日本のフォーク]

 かつてCMソングの女王として、テレビから毎日流れていた「のこいのこ」さんの歌声を覚えている方も多いでしょう。たぶん、いまもいくつかは流れているんじゃないでしょうか。
 その後、テレビ番組「ひらけ!ポンキッキ」から生まれた大ヒット「パタパタママ」、これを聴いて育った人も、もう大人ですよね。
 そんな、のこいのこさんがCMを歌う前、フォークシンガーとして、ステージで歌っていたこの曲、オリジナルは布施明さんですが、雰囲気が全然違っていて、まるでこののこいのこさんのオリジナルみたいでした。(芸名が全部ひらがなですから、こんなふうに書くと読みにくいですね)
 ところで、これはレコードになっているんでしょうか?
 レコードは見たことがないので、ひょっとするとレコード化されていないかもしれません。
でも、当時この、のこいのこヴァージョンの「そっとおやすみ」が気に入って、放送されていたのをテープに録り、一生懸命楽譜にしたのです。
 昨日それに気がつき、午前中と、午後はお寺の行事「永代経」が終わったあと、ついさっきまで探してみました。
 ありました・・・これです! 伴奏はちゃんと3連のアルペジオ(分散和音)になっています。
音符までは小さくて見えないので、著作権は大丈夫でしょう。

 2段ずつになっていて、上がメロディー、下がギター伴奏です。
C(ハ長調)で書いていますが、のこいのこさんはF(ヘ長調)で歌っているはずです。
(この楽譜で、ギターの5フレットにカポタストをつけて演奏すると、その音程になります)
 イントロが4小節になっていますが、2小節「いらない」と落書きしてあるので、たぶん間違えていたのでしょう。
 いやあ、こんなマメなことをやっていたんですね~(^^)
70年前後ですから、まだ学生でしたが、なぜ勉強のほうにその気力というか、集中力を向けなかったのでしょうか?


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9月になれば/ のこいのこ [日本のフォーク]

 昨夜、突然この「9月になれば」(のこいのこ)を思い出し、レコード棚を漁って見ましたが、残念ながら見つかりませんでした。たしか「全日本フォークジャンボリー」(1970)というイベントのライブ盤だったと思います。
 ですから、この曲が3連であったかどうかは確認できていませんが、素晴らしいバラードだったことは確かです。
 さて、この「のこいのこ」さんですが、この名前は知らなくても、誰もがみんなその声は知っている、という、まるで月光仮面のような人です。
 ♪ 食べたその日から~~~
 ♪ エバラ焼肉のタレ!
 一時期は、テレビからこの人の声が流れない日はないというくらいの超売れっ子で、CMシンガーの女王だったんですね。
 そしてテレビ番組から生まれたヒット「パタパタママ」、これもよく耳にしました。
最近、またライブをはじめられたようで、ちょっと楽しみです。
 調べてみたら、こんな記事が見つかりました。
 のこいのこ
 じつは、その昔、「全日本フォークジャンボリー」の頃、のこいのこさんのステージを見た記憶があるのです。どこかの学園祭だったかもしれませんが、そのときに「9月になれば」や、小室等の「あげます」などをギターの弾きながら歌っていました。
 あ、また記憶がよみがえってきました。
「そっとおやすみ」布施明のヒット曲ですが、これもギター1本でカヴァーしていたんじゃなかったかな?
 そういえば、のこいのこヴァージョンのギター伴奏を耳コピ(レコードを聴いて楽譜にすること)した記憶があります。これも探してみますが、なにしろ未整理の膨大な量の楽譜のなかですから、いつ見つかるかわかりませんが・・・。
 そうだ、この曲も3連のアレンジだったかもしれません。

 ところで、70年~72年ごろというと、じつはもう「フォーク」に興味を失っていて、50年代60年代ポップスとロス・インディオス・タバハラスくらいしか聴かなくなっていました。
 その約1年後に吉田拓郎やかぐら姫など、再びフォークブームになり、しかもその「現場」のすぐそばで仕事をしていたにもかかわらず、そういったレコードなどの「音源」を整理して残しておくことをしなかったのです。
 これは失敗でした。
まさか、のこいのこさんのことを今頃思い出すとは・・・。
 
 今日は、これからちょっとレコードと楽譜の整理をしてみます。
 


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サルビアの花 [日本のフォーク]

 この曲がラジオから流れてきたりすると、なぜか学生時代に住んでいた4畳半の狭いアパートを思い出します。
 学生時代にこの曲が流れていたか、年代を調べていないので確かではありませんが、イメージとして結びついているのです。
 そんなにお金もなかったし、特別な女の子がいたわけでもなく、マージャンやギターや早朝ボウリングや(わかる人はわかるはず)、マンガなどにうつつを抜かしていたあの頃・・・。
 要するに、非常に暗い時代(当時は、そんな感じでもなかったけど)でした。
ヒットしたのは、たぶんこのグループでしょう。

 「もとまろ」・・・どういうグループかまったく知りませんが、たぶんラジオではいちばん流れていたような気がします。
 もうひとつ、この女性が歌っていました。

 こちらも、どういう歌手かまったくわかりません。(すみません、調べる気力がありません)
でも、どちらも、あの60年代の終わりごろから70年代初め頃の、なんともいえない空気というか、匂いみたいなものが感じられるのです。
 もちろん、人によって全然違う感じ方をしているかもしれません。
自分が、当時そんな空気を吸っていて、そのときに流れていたため、頭の中に刷り込まれてしまっているのでしょう。
 ところで、この曲を作ったのは、まず作詞が相沢靖子、作曲が早川義夫・・・早川さんは、ジャックスというグループのメンバーでで、放送できない用語が歌詞に入った曲などでおなじみですが、たしかすぐ解散してしまったはずです。
 その早川さん自身が歌っています。
サルビアの花
 早川義夫さんはその後、本屋さんになりましたが、最近また音楽活動を始めたようですね。


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