Just Because / John Lennon [ロックンロール]
ビートルズが世界的になったのは、64年から70年、それが個人的には中学校から大学という時期で、やはり一番影響を受けたアーティストでしょう。
でも、解散してからはなぜかあまり聴かなくなってしまいました。
もちろん、ソロになってからも4人にはそれぞれヒット曲もありますが、ビートルズ時代のようには夢中にはなれませんでした。
さて、そんなビートルズ解散後の、ジョン・レノンのソロアルバムのひとつ、「ロックンロール」。
ソロとして何枚目かは忘れましたが、もちろんヒットはしました。
発売当時ももちろん聴きましたが、その後は何故か遠ざかってしまいました。
でも、最近気がついたのですが、このアルバムでジョンがカバーしている「スタンド・バイ・ミー」、このアレンジでカバーしている若いミュージシャンが多いですね。
オリジナルのベン・E・キング盤ではなく、ギターのカッティングから入るパターンです。
やはり70年代ということで、今の若い人にはそのほうがいいのかもしれませんね。
さて、そんなジョン・レノンのアルバム、「ロックンロール」の中に入っている3連のバラードです。
Just Because
これも、すっかり忘れていました。(^^;
あれっ?こんな曲はいってたっけ?なんて思って、CDを出してきたら入ってました。
のちにCDも買っているのに、忘れているんですね~。
だめですね~。(^^;
Crazy Love / Paul Anka [ロックンロール]
いわゆるオールディーズとかロックンロールといった種類の音楽が注目され始めたのは、たぶん73年の映画映画「アメリカン・グラフィティ」の公開が引き金となったのではないでしょうか?
そのあと日本ではちょっとしたブームにもなりました。
このオールディーズとかロックンロールを聴かせるというか、バンドが入って生演奏するライブハウスが登場したのは、それから2、3年後でしたね。
その代表というのが、ケントスという店でした。
恥ずかしながら当時そういった店には疎く、気がつきませんでしたが、仕事の関係で何軒か似たような店に入った記憶はあります。
それがケントスだったか、別の店だったかはもう記憶のかなたに飛んで行ってしまいました。
ずっと後になって、オールディーズのラジオ番組をつくったことがあり、そのパーソナリティーが島敏光さんでした。
この島敏光さんが、なんとケントスにも深くかかわりがあったんですね~。
こんな本をお書きになっています。
これがなかなか面白い。
ケントスの草創期から現在までのドラマが、その渦中にいた人ならではの目で描かれています。
興味のある方は、一読をお薦めします。
さて、そんなケントスでも、何百回、いや何千回?歌われたはずのナンバーです。
Crazy Love Paul Anka
ちなみに、ケントスの行ったことがある方ならご存知かもしれませんが、「ケントス新聞」というカラフルなメニュー兼新聞があります。
島敏光さんはその編集長でもあるんです。
もうひとつちなみに、こんな映画もありました。
この胸のときめきを
Baby Blue / Gene Vincent [ロックンロール]
50年代に活躍したジーン・ヴィンセント、ビートルズのジョン・レノンなどもそのパワフルな歌の大ファンだったようですね。
ソロ・アルバム「ロックンロール」でも名曲「ビー・バップ・ア・ルーラ」をカバーしています。
歌詞はいたってシンプル、それを力強いシャウト唱法で歌い、独特のノリを作り出していました。
当時は、まだまだロックンロールは親たちにとっては眉をひそめる音楽に過ぎず、何かにつけて否定したり、それまでのおとなしいポピュラーソングに戻そうとしたのです。
でも、親の世代が否定したにもかかわらず、シンプルでパワフルなノリ(グルーヴ感)は、すぐにポップス界の主流になっていきました。
そんな当時のロックンロール・スター、ジーン・ヴィンセントの大ヒットは、やはりこの曲ですね。
Be-Bop-A-Lula
一応3連のビートですが、バラード・・・ではないですね。(^^)
でも、この曲とそっくりのメロディーで、もう少しテンポのゆっくりしたナンバーがあります。
Baby Blue
こちらはまあ3連のバラードと言えなくもないですかね。
いまのラップ・ヒップホップなども、そのうちロックンロールみたいになるのでしょうか?
もうなっているという人もいますが、「主流」ですか・・・ね。
そろそろ消えていくような感じもありますが・・・。
Send Me Some Lovin / Buddy Holly [ロックンロール]
ちょうど50年前のきょう2月3日、ロックンロールの初期に活躍し、あのビートルズなどに大きな影響をあたえたシンガー、バディー・ホリーが飛行機事故により、なくなりました。
ギターとドラムによるバンドの形を作り、またギターも立って演奏するという、いまでは当たり前になっているスタイルを確立したバディー・ホリー。
ビートルズや、リンダ・ロンシュタットなどのカヴァーもおなじみですね。
そんなバディー・ホリーの3連のナンバーです。
Send Me Some Lovin
ところで、このバディー・ホリーが亡くなった飛行機事故ですが、操縦士のほかに、あと二人バディー・ホリーとおなじくロックン・ロールの発展に寄与したシンガーが犠牲になりました。
ビッグ・ボッパーとリッチー・ヴァレンスですね。
みんな、これからというときでした。
Walk On / Roy Orbison [ロックンロール]
50年代の真ん中あたり、カントリー&ウエスタンやリズム&ブルースのミュージシャンが互いに影響を受けて誕生したのがロックン・ロールでしたね。
チャック・ベリーやリトル・リチャード、もちろんエルビスもそうですね、それからバディー・ホリー、ジーン・ビンセントなどの名前があげられますが、この人もそうでしたね。
ロイ・オービソン、あの「おおプリティー・ウーマン」とか「オンリー・ザ・ロンリー」などのヒットは今では日本でもおなじみです。
今では、というのは、実は当時は、ほかのロックンロール・シンガーにくらべ、なぜか日本での知名度はいまひとつだったのです。
「おおプリティー・ウーマン」は、何年かまえ大ヒット映画にも使われ有名になりました。
さてそんなロイ・オービソンの3連のバラードです。
Walk On
そういえば、ヴェルベッツの「愛しのラナ」も、このロイ・オービソンが作ったんじゃなかったかな?
間違っていたらすみません。
Right Or Wrong / Wanda Jackson [ロックンロール]
中学校のころ、ラジオから流れてきて、なんだこりゃ・・・と思った曲のひとつが「フジヤマ・ママ」でした。
英語の歌詞の中に広島とか長崎といった地名も入っていたりして、ちょっと親しみを持った記憶もあります。
そのフジヤマママを歌っていたのがワンダ・ジャクソンですね。
当時(50年代後半?)日本ではもちろん話題になったのですが、アメリカではそれほどでもなかったようですね。
クイーン・オブ・ロカビリーとか、ファースト・グランド・レディー・オブ・ロックンロールといった称号もあるようですが、本当のところはどうなんでしょう。
そんな、ワンダ・ジャクソンの3連のバラードです。
Right Or Wrong
ところで、この曲ではなく、さっきの「フジヤマ・ママ」ですが、広島、長崎という地名があるということで、日本で大ヒットしたのですが、あまり良い意味ではないみたいですね。
後から知ったことなんですが、当時は戦後まだ10年くらいで、戦争のネタが歌にも使われていて、この歌詞に登場する広島や長崎は、やはり原子爆弾と関係があるんですね。
私を怒らせると怖いわよ、広島や長崎にやったようにしてやるとかなんとか、そんな内容だったと思います。
それを英語の分からない日本人が喜んで買ってしまった・・・ということなんでしょうね。
私もその一人ですが、レコードは買いませんでしたが・・・というより、発売されたころは小学生でした。
ワンダ・ジャクソンのオフィシャルサイトがあります。
Wanda Jackson
Ain't That A shame / Fats Domino [ロックンロール]
きのう仕事がひと段落し、急きょ今日から3日間夏休みということになりました。
何も予定は立てていなかったため、ゴロゴロとしていたのですが、なんか損した気分もあるんですがね~。
さて、ここのところ80年代90年代という、このブログでは「新しい」曲を取り上げてきました。
そのせいか、いや世間がお盆休みで、ガソリン代も高いということで、同じように家でゴロゴロする人が増えたせいでしょうか、このブログの閲覧数が「えっ?」ということになっています。
一昨日が、一日で約900、きょう21時現在、すでに1000を超えてしまったのです。
これはどういうことでしょう?
まさか一昨日の「超ミニ」が効いたのでしょうか?
そんなことはないですよね。
でも、一昨日初めてこのブログをご覧になった人は、いきなり「スカートの長さ」ですから、やはり「ヘン」なブログと思われたでしょうね。
そんなことはありません。
いつもは、いたって真面目です。
数あるポップスや歌謡曲などの大衆音楽の中から、3連のバラードという形式の音楽だけを集め、なにやらウダウダと理屈をこねたり、重箱の隅をほじくったりしております。
ハイ。(^^;
というわけで今日の3連のバラードはこの曲です。
Ain't That A Shame Fats Domino
ロックンロールのオリジネイターのひとりですね。
そういえば、この曲もそろそろ取り上げようとしていたところで、あるブログでYOUTUBEのリンクが紹介されてしまいました。
やはり油断すると先を越されるというか、家庭菜園でちょうど収穫というときに、トマトをカラスにつつかれて・・・いや、そんな失礼な書き方はいけませんね。
「熟しましたよ、早く収穫しないとだめですよ」
という、やさしいお心遣いですね、きっと。(^^)
ファッツ・ドミノについて、何か話題をと思ったのですが、なかなか「これは」というネタがありません。
この曲のヒットした55年・・・いわゆる「ロックンロール元年」ですが、その55年から59年まで本国アメリカでは、エルビス・プレスリー、パット・ブーン、ペリー・コモに続いて、このファッツ・ドミノが多くのヒット曲を出していました。
もちろん黒人ミュージシャンではトップです。
あのチャック・ベリーも、リトル・リチャードもかなわなかったんですね。
I'm Sorry / Bo Diddley [ロックンロール]
チャック・ベリーやリトル・リチャードなどとともに、ロックンロールを作ったミュージシャンの一人、ボ・ディドリー。
この6月2日、惜しくもこの世を去りました。
トレードマークは、何といってもこの四角いギターですね。
Bo Diddley
カッコいいですね、50年代にこんな個性的なシンガー&ギタリストがいたんですね~。
この独特のリズムカッティングも、彼があみだしたもので、それがのちのロックンロールの基礎となっていったわけです。
さて、そんなボ・ディドリーの3連のバラードです。
I'm Sorry
チャック・ベリーもそうでしたが、このボ・ディドリーも60年代には、本国アメリカではもう「終わった」アーティストでした。
それが、ふたたび注目を集めるきっかけとなったのは、イギリスのミュージシャンが彼らの曲をカヴァーしていたこと。
とくにローリング・ストーンズは、このボ・ディドリーをかなり研究していたみたいですね。
ほかにはキンクスとかアニマルズ、それからエアロスミス、ドアーズなど、のちの大物バンドもこのボ・ディドリーの曲をカヴァーしていました。
Send Me Some Loving / Little Richard [ロックンロール]
日本にロックンロールが入ってきたのは50年代の終わりごろ、代表的なアーティストは言うまでもなくエルビス・プレスリーですね。
日本の歌手もたくさんカバーしましたが、そのころはロックンルールとしては定着しなかったんじゃないでしょうか。
日本にまだロックンロールを受け入れる土壌ができていなかったことや、それを日本人が歌うとリズム感などが、どうしても合わなかったんですね。
当然、ポップス歌謡曲の「ノリ」に近い、ポール・アンカやニール・セダカなどの曲が、エルビスの曲よりむしろヒットしたような気がします。
そんなこともあってエルビス以外のオリジナル・ロックンロールは、ほとんど知られることもなく60年代に入って行きました。
そんなオリジナルのロックンロールが日本でようやく知られることになったのは、あのビートルズがカヴァーしていたことからでした。
チャック・ベリー、リトル・リチャード、バディー・ホリー・・・みんなビートルズのアルバムの中で、その存在を知ったのでした。
さて、今日の3連のナンバーは、そのなかのひとり、リトル・リチャードです。
ビートルズが取り上げていたのは「のっぽのサリー」などですが、ほかには「ルシール」や「ジェニ・ジェニ」などたくさんのヒットがあります。
そんなリトル・リチャードの3連です。
Send Me Some Loving
今でこそリトル・リチャードの名前はよく知られていますが、ビートルズが登場するまで日本ではほとんど知られていませんでした。
当時の曲で、日本でも知られていた曲は、たぶん鈴木やすしがカヴァーした「ジェニ・ジェニ」くらいではないでしょうか。
このSend Me Some Lovingは、ジェニジェニとおなじ57年のヒット曲です。
The Things I Used to do/Chuck Berry [ロックンロール]
いまでこそロックンロールの元祖みたいな存在として、多くのファンがいるチャック・ベリーですが、現役として活躍していた時代には、日本ではたぶん誰も知らなかったのではないでしょうか?
50年代の真ん中あたり、ロックンロールといえば、白人ではもちろんエルビスですが、みずからそういった「新しい音楽」を作り出していたのは、黒人のこのチャック・ベリーや、リトル・リチャードなどでした。
彼らは、それまでのリズム&ブルースとは、ちょっと違ったサウンドを作り出していました。
でも、この当時まだまだ音楽における人種の違いは大きく、エルビスは大ヒットしましたが、このチャック・ベリーなどは、オリジナルであるのにもかかわらず、それほどの大ヒットということにはなりませんでした。
日本では、おそらくその存在すら知られていなかったはずです。
60年代に入ると、すでにに「終わりかけていた」そのチャック・ベリーが、にわかに注目を集めました。
あのビートルズが、このチャック・ベリーやリトル・リチャードの曲をカバーしていたんですね。
The Official Site of Chuck Berry
ビートルズが歌う「ロール・オーバー・ベートーベン」や「ロックンロール・ミュージック」といったチャック・ベリーのナンバーは、初めて聞いたとき、とても新鮮な感じがしました。
さらに、ビーチ・ボーイズの「サーフィンUSA」が、チャック・ベリーの「スイート・リトル・シックスティーン」の歌詞を替えただけだったということを知り、チャック・ベリーって誰なんだ、というわけで時代を逆戻りして、さらに古い音楽まで聴くようになったのです。
さて、そんなチャック・ベリーの3連のバラードです。
いわゆる「ブルース」で、あまり好きではないのですが・・・。
The Things I Used to do
じつは、この曲は最近まで知りませんでした。
持っているアルバムには入っていなかったからです。
1981年だったでしょうか、東京・渋谷公会堂で、このチャック・ベリーのコンサートを観ました。
当時すでに60代くらいだったんじゃないでしょうか。
でも、あの有名な「ダック・ウォーク」までやってくれました。
さらに驚いたのは、バックにあの成毛 滋さんが参加していたのです。
しかもギターではなく、ピアノ!です。
この日本公演には、いろいろと裏話があるようなんですが、詳しくはわかりません。
でも、当時まさかチャック・ベリーの歌が見られるなんて想像もできませんでしたから、ステージに出てきた姿を見たときは、本当に感激しました。