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女心の唄 / バーブ佐竹 [歌謡曲]

 1964年というと、新幹線ができ、東京オリンピックが開催され、ビートルズが世界的な人気になり、ベンチャーズがエレキブームを巻き起こし・・・という、華やかなイメージの年でしたね。
 そんななか、歌謡曲の世界で長い下積みの末、この曲でデビューしたのがバーブ佐竹でした。

 女心の唄

 この時代は、まだ「演歌」というはっきりしたジャンルがなく、こういった歌謡曲はみんな「流行歌」と呼ばれていたような気がします。
 この曲は、若者がビートルズなどに注目する中、大人の皆さんに圧倒的に支持され、大ヒットになりました。
バーブ佐竹.jpg
 そういえばこの時代、僕ら中学生でも、確かにビートルズなどの洋楽べったりになっていたものでも、こういった歌謡曲は自然に覚えてしまって、みんな歌えました。

 ただ、人前では歌いませんでしたが、何かをしているときに、鼻歌でこの曲を歌っている自分に気が付き、ハッとするようなこともありました。
 もっと前には、たとえば春日八郎の「お富さん」なども、いつの間にか自然に覚えてしまって、意味も分からず歌っていました。

 自分の部屋に入ってしまうとトランジスター・ラジオで洋楽を聴くのですが、それまでは、つまり「茶の間」では、テレビがドーンとあって、家族が集まって歌謡曲番組などを見ていたんですね。
 この曲も、そんな「茶の間」で、覚えたのでしょう。
いつのまにかそんな「茶の間」もなくなってしまいましたね。

 何年か前、そんな「茶の間」を取り上げたテレビ番組で、「茶の間で家族が集まってテレビを見た最後の番組」が、あのドリフターズの「全員集合」だったのではないか、というようなことを話していたのを覚えています。
 いまはネット時代・・・「茶の間」は復活するでしょうか?


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tsukikumo

うちの祖母が生前、これほど不細工な歌手も珍しいが、これほど心に響く歌手も珍しいと言っておりましたです。はい。

「青いゴム草履」リリース後大分経ってから深夜放送で大受けで一世風靡しましたね。
by tsukikumo (2008-12-16 23:17) 

Mashi☆Toshi

>青いゴム草履
コサキン・・・でしたっけ、じつはその番組のあとの生放送、担当していました。(^^)
隣のスタジオでしたが、ときどきパーソナリティーが遊びに行っていました。(^^)
by Mashi☆Toshi (2008-12-17 22:32) 

Cliff

私もいつの間にか覚えてしまい、
今でも一番を歌えます。
田端義夫のマネもできます。

テレビ全盛期過ごした世代は、
こういう共通言語がたくさんありますよね。
飲み屋で知らないオッサンと、
急に昔の歌で盛り上がったりすることがよくあります。
by Cliff (2008-12-21 06:38) 

Mashi☆Toshi

>いつの間にか覚えてしまう

結局「あのころ」は、新曲が「世間」にまで出ていたんでしょうね。
だからファンでなくても自然と覚えてしまったのでしょう。

いまは新曲や新しいアーティストは、CDやダウンロードなど、レコード会社とファンとの間で「やり取り」されるだけで、世間に出てこないので、ファン以外は「自然に覚える」ということがなくなったのではないでしょうか。
by Mashi☆Toshi (2008-12-21 09:30) 

ツイッター司郎

この人と「骨まで愛して」の城卓也を混同していた時期が
あります(笑い)
もし今の時代だったら逆の意味、バラエティーに引っ張りだこ
だったかもしれませんね(笑い)
by ツイッター司郎 (2011-05-10 19:02) 

Mashi☆Toshi

そうそう、当時いまみたいなバラエティーがあったら、絶対出てますね。
(^^)
by Mashi☆Toshi (2011-05-10 22:48) 

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