Poor Butterfly / Dodie Stevens [ポップス]
きょうは、日本ではかなりのポップスマニアでないと、知られていないシンガーです。
とはいっても、アメリカではかなり有名で、50年代終わりから60年代に数々のヒット曲があります。
いちばん有名なところでは「ピンク・シュー・レイセス」(1959)でしょうか。
もうひとつ、エルビスの「今夜はひとりかい」のアンサーソング、「Yes I'm Lonesome tonight」もありましたね。
さて、そんなドディ・スティーヴンスの3連のバラードです。
Poor Buterfly (哀れな蝶)
このドディ・スティーヴンスのレコードに、この邦題がついていたかは分かりませんが、曲そのものは由緒あるもので、たくさんのシンガーが歌っています。
1915年、メトロポリタン劇場で上演されたプッチーニの歌劇「蝶々夫人」(主演・三浦環)を観た演劇プロデューサーのジョン・ゴールデンが、翌年その歌劇からインスパイアされて作詞し、レイモンド・ハッベルが作曲しました。
サラ・ヴォーン、ヴィッキー・カー、フランク・シナトラ、トニー・ベネットといった大物シンガーが取り上げています。
ところで、このドディという名前ですが、あまり他にはみかけませんね。
日本では、濁音から始まる名前というのは、ごく限られています。
「じ」が、そんな数少ない例外のひとつですが、それ以外は、やはり「濁る」というイメージが名前にはよくないのかもしれませんね。
男性の場合は「ご」「だ」「で」などが見られますが・・・。
話はコロッと変わるのですが、そういえば日本語の中で「みゃ」とか「みゅ」から始まる言葉って、極端に少ないと思いませんか?
というより、言葉が思いつきませんね。
辞書を見ても「みゃ」は「脈」関係以外は見当たりません。
「みゅ」にいたっては外来語以外はありませんね。
「みゃ」というと、どうも名古屋弁を思い浮かべてしまうのですが、偏見でしょうか?
「おみゃー、そりゃー、エビフリャーだがねー」
あ、名古屋の人に、ものすごく怒られそう・・・。
ドディ・スティーヴンスという人は知りませんでしたので、早速YOU TUBEで見てみると、ありましたが画像は無し音声のみですね、Girl Answer Songs Of The '60'Sっていうアルバムに入っているYes I'm Lonesome tonightをはじめて聞きました、曲は一緒で歌詞がAnswerってことなのですかね、50’sの香りがプンプンですね。
by @正 (2008-11-05 21:13)
>アンサー・ソング
日本語にすると応答歌(?)でしょうか。
昔「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」という曲が流行った時、
「私がヨーコ」(?)という曲が出ました。
ほかにもいっぱいありますよ。
by Mashi☆Toshi (2008-11-05 22:20)
>「私がヨーコ」(?)という曲が出ました。
粗探しみたいで申し訳ないのですが、「ケメ子の唄」のアンサーソング「私がケメ子よ」とごっちゃになってません?「港のヨーコ・・・」の方は「アンタ私の何なのサ」だったような気が。
「私がケメ子よ」には更に「ケメ子が何だい」という二重のアンサーソングも存在します。
二重に存在する例としては他に「泳げたいやきくん」に山本リンダの「私の恋人たいやきくん」と横山ノックの「がんばれ たこやきちゃん」があります。しかし同一レコード会社での企画が多く、商魂がミエミエなので好きではありません。
その点、サザンの「MICO」と弘田三枝子の「O-Kay」は
レコード会社の垣根を越えた自然発生的なモノで好感が持てます。
アンサーソングには自分で過去の持ち唄にアンサーしたものもあります。浪曲子守唄の一節太郎は「帰ってきた女房」、京都から博多まで男を追っかけた藤圭子に「私は京都へ帰ります」が在ることを知ったときは大笑いしてしまいました。
この辺りの説明は私より年長であるMashi☆Toshiさんには釈迦に説法で全く不要だとおもわれます。
P.S.
「浪曲子守唄」のB面は「一発節」というんですよ。
これマジです。
まさに一発屋に相応しい、とよくネタにされています。
by tsukikumo (2008-11-16 22:07)
>「アンタ私の何なのサ」
そうそう、そうでした。
調べもしないで、記憶だけで書いているため、こんなミスがあるんです。
申し訳ないことでございます。
というわけで、このブログを盗用されている皆さんはご注意ください。
Tsukikumoさん、ありがとうございました。
一節太郎・・・これまた全然知りませんでした。
藤圭子も同じです。
さすがですね~。
by Mashi☆Toshi (2008-11-16 22:53)