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涙のスウィートチェリー/シャネルズ [日本のポップス]

 いまもこの呼び方があるのかわかりませんが、第一京浜国道、第二京浜国道、そして第3京浜・・・これらの道路のそばにお住まいの方はお分かりだと思いますが、これらは全部「通称」で、正式名称ではないですよね?
 第一京浜は国道1号線ではなく、たしか国道15号線で、第2京浜が国道1号線、そして第3京浜は高速道路でした。
違っていたらすみません。
 免許を取ったころ(遅かったのです90年ごろ)、ちょうどこれらの道路が、運転の「練習場」だったのです。(今考えると怖いですね~)
 環状8号線を、左側の車線ばかり走っていたら、いつのまにか高速道路になっていたなんてこともありました、それが第3京浜でした・・・・怖いですね~。

 さて、そんな道路の話はこれくらいにして、この3つの道路のなかで特に第一京浜が通っているところが「京浜工業地帯」(でしたでしょうか)ちょっと裏通りにはいると、雰囲気のある町工場がたくさんありました。
 80年代のはじめ、そんな「京浜工業地帯」から登場したのがあのシャネルズでしたね。
グループ名もユニークなら、顔を黒く塗って歌うというのも他にはありませんでした。
 しかも、その歌唱力も本物で、50年代60年代のリズム&ブルースをベースにしたしっかりとしたコーラスで、あっという間にスターになりました。
 そのシャネルズの3連のバラードです。
 
    涙のスウィートチェリー
 
 ご存じのように、その後いろいろあって、ラッツ&スターという名前になり、解散(したのかな)・・・いまはリードボーカルの鈴木雅之さんくらいしか見かけなくなりましたが・・・。

 涙のスウィートチェリー.gif 
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nonoyamasadao

こんにちは。
おお~~、鈴木雅之さんの声が若い。
今の方が、甘い声ですけど。。。若くても、せつなさがあります。
湯川れい子さんの詞が素敵です。漣健児先生の直系みたいですね。
うん、コーラス含め、堪能致しました。
by nonoyamasadao (2008-02-28 10:23) 

ダイアナ・シールズ

まさに、第一京浜と第二京浜と環八にはさまれた地域に生まれ育った人間です(笑)。間違ってないと思います。(免許ないので、今一歩自信ないんですが…)

というわけで面識はないですが、シャネルズもほぼ同地域の出です。

ザ・ベストテンに「シャネルズ」が出たときに、どこかの男の子が
「シャネルズは黒人のくせになんでシャネルって言うんですか?」と質問して
黒柳さんが泣きながら「黒人の“くせに”なんて酷い言い方をしてはいけない」と訴えたのが今でも印象に残ってます。

トランペットの桑野さんも活躍してますよ~(笑)
by ダイアナ・シールズ (2008-02-28 20:20) 

Mashi☆Toshi

nonoyamasadaoさん、こんばんは
鈴木雅之さんの声、確かに若いですね。
あのころ、ほかのメンバーは、多少コミカルな線を狙っていたようですが、彼だけずっと渋い二枚目路線というのが印象的でした。
by Mashi☆Toshi (2008-02-28 22:29) 

Mashi☆Toshi

ダイアナ・シールズさん、こんばんは
「地元民」さんでしたか。
90年代に、戸越公園というところに住んでいたのですが、ちょうどそのころマウンテンバイクもてにいれ、休日にはいろいろ回っていました。
多摩川とか羽田空港なども行きましたよ。

シャネルズ・・・あのころほんとかっこよかったですね。
どちらかというと、人気先行みたいでしたが、リズム&ブルースの実力はぴか一でした。
新宿のルイードによくでていませんでしたっけ?
ルイードはよく行っていたのですが、残念ながらシャネルズは見たことがないのです。
by Mashi☆Toshi (2008-02-28 22:39) 

Ly☆li

懐かしいですこの曲…すごく好きでした。

さっきニュースで偶然、野球界の有名な方の訃報を見てその方の娘さんを思い出しました。実は高校の時、娘さんと同級生だったんです。
その方はラッツ&スターの大ファンでよくベストテンとかへのリクエストハガキを書くのを手伝わされた思い出があります。
カセットテープにラッツの曲をいっぱい録音してくれて(もちろんこの曲も入ってます)私にラッツのよさを教えてくれた方だったんです。いまでもその音源は大切にしてます。
卒業してから宝塚に入ったと噂で聞いたんですが、その後どうしてるのかまったく知らなかったんです。
さっきちょっとネットで調べてみたら、宝塚で何年か活躍されていたらしく、びっくりしました。現役を引退されてからも今でもダンスを続けていらっしゃるようで…なんだかほっとしました。。

ここの記事とニュースと自分の中の青春の思い出が急に色々とつながってしまったので関係ないことを色々と書いてしまいました…すみませんでした。

次はチェッカーズの記事を見てみたいと思います(笑)

by Ly☆li (2008-02-29 01:04) 

Mashi☆Toshi

Ly☆liさん、こんばんは
一つの曲が、いろんな思い出につながっていることってありますね。

>ベストテンにはがきを書く
いまの子供たちには想像もつかないでしょうね。

あんな番組は、いまではもうできないでしょうね。
そもそも「ヒット曲」という言葉が無意味になってしまいました。
紅白で、初めて聞く「大ヒット曲」があるlくらいですから(^^;




by Mashi☆Toshi (2008-02-29 20:25) 

Ly☆li

こんばんわ!
そうですよね…歌って不思議ですね。
同じ歌に、たくさんの人のそれぞれの思い出が関わっていて、
歌を通して知らない人同士が
つながっているのかもなぁとも感じます。

紅白で初めて聞いた大ヒット曲って
どんな歌だったんですか?
紅白もここ数年見てないんです。
確かに考えてみると昔はベストテンとかあって、
ヒットした曲とかわかりやすかったですね。
家族そろってお茶の間で見てたから、
色んな世代間で共通の話題が持てていたようにも思えます。
演歌もポップスもみんな同じ番組で見れて
気軽に毎週楽しめてたんですから、
今考えるとすごいことだったのかもしれませんね…

by Ly☆li (2008-03-02 01:16) 

Mashi☆Toshi

>紅白で初めて聞く曲

 ロック・ポップス系はほとんどです(^^;
 とくに、ラップやヒップホップは名前さえ知りません(^^)

 昔は、「大ヒット曲」は、実際に大ヒットしてからそういう言葉が使われましたが、最近では売れる前に「大ヒット曲」という言葉が使われるみたいで、なんだかなあ、という感じです。

 それと、昔は「残る」曲が多く、それが「良い曲」の条件でもあったのですが、いまは「残る」ということは、その曲の価値には全然影響しないみたいですね。
 「残る」ということは、それが世代を超えるということですから、共通の話題になったわけで、今みたいに「残らない」曲ばかりでは、数年後数十年後に共通の話題になることはないんじゃないでしょうか。

by Mashi☆Toshi (2008-03-02 10:01) 

Harriet

あ,でも,スピッツの曲とか,音楽の教科書に入って既にスタンダード化してますし,多分ゆずとかも。
コブクロなんかもそうなるんじゃないでしょうかね?

歌詞を教科書に載せて差しさわりがない,というところもポイントです。(笑)



by Harriet (2008-03-07 08:30) 

Mashi☆Toshi

Hurrietさん、こんばんは
>スピッツの曲が教科書に!?
「空も飛べるはず」(?)でしょうか?
教科書も変わりましたね!
赤い鳥とかユーミンとかまでは知ってますが、その後はどうなったのか全然知りません(^^;
>ゆず
7,8年前、何枚かCD聴きました。
世代的に、もうついて行けませんでした(^^;
>コブクロ
自分から聴いたことがないのです(^^;
グループ名まではわかりますが、曲がぜんぜん記憶になくて・・・。
すみません、10年業界を離れて田舎暮らしをすると、もう完全に浦島太郎状態です(^^;
by Mashi☆Toshi (2008-03-07 22:54) 

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