ヘッドライト/新沼謙治 [演歌]
70年代、まだ高速道路がそれほど整備されていなかった頃、国道沿いのドライブインには独特の雰囲気がありましたね。
とくに、午前2時とか3時ごろに入ったりすると、長距離トラックの運転手さんとか、タクシーの運転手さんとか、まさにプロ・ドライバーといった感じの人が中心で、そこはまさに「職場」でした。
深夜のドライブインは、砂漠を行く隊商が立ち寄るオアシスのような存在だったのかもしれません。
そんな雰囲気のラジオ番組もありました。
60年代の中ごろから、ラジオの深夜放送といえば、午前1時から5時まで、ほとんどの放送局が「若者向け」でしたが、70年代になると午前3時からは演歌や歌謡曲を中心にした番組に変っていったのです。
このとき、たしかにそれまでの深夜放送ファンのあいだでは、そういった番組への移行を惜しむ人も多かったのですが、意外なほど人気をあつめました。
放送中ドライブインに電話を入れてドライバーに出てもらったり、当時まだそれほど普及していなかった留守番電話でのリクエストを取り入れたり・・・。
ということで、今回の3連のバラードは、そんな深夜のラジオ番組でもさかんに放送されたこの曲です。
ヘッドライト 新沼謙治
いいですね~。
ドライブインのうどんとかそばの香りが漂ってくるような雰囲気があって、なんかほっとします。
ところで、この曲のタイトルと同じ言葉がついていたラジオ番組は74年に始まったのですが、じつはスタッフはそれまでの深夜放送と同じでした。
当時、午前1時から5時までは、ディレクターとAD(アシスタント・ディレクター)の二人だけで、内容からスタジオ内の機械操作まですべてをこなしていました。
それがそのまま1時から3時までと3時から5時までは、まったく違う番組を作ることになったのです。
しかも、留守番電話のセットや、道路情報の確認、ドライブインなどの打ち合わせなど仕事は倍増です。
でも、3時から出演する出演者のかたはもっと大変だったかもしれません。
夜12時くらいまでは、レコード会社の宣伝マンがきたり、1時からの出演者もいて意外ににぎやかですが、それ以降はまったく一人きり・・・。
1時から3時までは、スタッフも当然番組にかかりっきりで、その間じっと一人で待っていなければならなかったのですから・・・。
熱心なリスナーではありませんでしたが、パックイン・ミュージック、オールナイト・ニッポン、セイ・ヤング、つまみ喰い(失礼)のように聞いていました。
またフォーク、ポップス、歌謡曲等雑食なもので、歌うヘッドライトも走れ歌謡曲も。だいたいは後ろの2つが子守唄がわりだたかもしれません。
それにしても、こういう裏話はMashi☆Toshiさんならでは。
これからも面白エピソードを期待しています。
by MOMO (2008-02-16 01:37)
MOMOさん、おはようございます。
午前3時からというのは、聴くのも大変でしたよね。
でも、この番組、いちおうプロ・ドライバーがターゲットだったのですが、
それ以外の幅広い層にウケたようで、、とくに早起きのお年寄りの方からのハガキなどが印象的でした。
そういったこともきっかけのひとつとなって、別の放送局の「深夜便」ができたんじゃなかったでしょうか。
by Ma-toshi (2008-02-16 09:20)
パック第二部は個性的な番組が結構あり好きだったので、「歌うヘッドライト」に変わったときはガッカリでした。
文化放送が「走れ歌謡曲」を放送しているのに、なんでTBSが真似するの?そんな感じでした。
でも、懐かしいです。
by Cliff (2008-02-16 10:21)
Cliffさん、こんばんは
当時、そういう意見が多かったんですよ(^^)
スタッフ側もちょっと大変でした。
曜日によっては、出演者までそのままということもありましたね。
by Ma-toshi (2008-02-16 21:46)
こんばんは。
ドライブイン探しに、Mディレクターと黄色い117クーペで東名・名神を走って
岡山まで行ったことが懐かしいです。
2時間の仮眠でトンボ帰り、帰りは眠くて大変でした。車の天井が開くようになっていて、止まると雨漏りしてガソリンスタンドで雨宿りも経験しました。当日はコータロー・パックで睡眠不足を通り越し、かなりハイテンションで仕事をした記憶が。
by shige (2008-02-17 00:27)
Shigeさん、おはようございます。
>協力ドライブイン探し
あれはShigeさんたちが行ったのですか!
高速ドライブ、なかなか楽しそうじゃないですか(^^)
どこだったか、番組中電話すると、完全に寝てしまっている人もいましたね。
by Ma-toshi (2008-02-17 10:23)