70年代の真ん中あたり、フォークもニューミュージックに押され、ちょっと下火になったかなという頃、なんともいえないほどその歌に引き込まれる女性シンガーが登場しました。
 それが山崎ハコでした。
 じつは70年代、フォークとくに日本のフォークには、あまり興味がなくなって、ほとんど聴かなくなっていました。
 でも、故・林 美雄さんの番組「パック・イン・ミュージック」で紹介された彼女のアルバムは、聴き入ってしまいました。

 一番印象的だったのは、番組の「ファンの集い」で、ゲストとして登場したときの衝撃でした。
それまでほとんど無名の彼女が、TBSホール満員の聴衆の前で歌い終えた時、その拍手と歓声はかつて見たことのないほどの驚きと感動に満ちていました。
 このときは、たしか「金曜パック2部」が終了して、「水曜パック」として復活してからだったと思います。
 「金曜パック2部」「水曜パック」なんて、もう50代以上で、東京の深夜放送を聴いていた人にしかわからないかもしれませんが、2部というのは「パック・イン・ミュージック」の午前3時から5時まで、水曜パックは水曜日(火曜日深夜)午前1時から3時までの放送のことです。
 2部があったころは、1時から3時までを1部、3時から5時までを2部と呼んでいました。
 
 望郷 山崎ハコ

 この曲は、デビューアルバム「飛びます」のA面1曲目(CDでも1曲目)に入っています。
当時、こういったマイナーでありながら、その後の音楽をリードすることになる、山下達郎のシュガー・ベイブや例のナイアガラ(大瀧詠一)などのアーティストのレコードを出し続けていたのが、エレックレコードという会社でした。
 ギタリストで、ギター教則本でもおなじみの浅沼勇さんや、文化放送のアナウンサー故・土井まさるさんなどが出資して設立した会社で、最初のレコードが確か土井まさるさんの「カレンダー」という曲だったんじゃないでしょうか?
 そのあと、吉田拓郎、泉谷しげる、古井戸、海援隊、つボイノリオそして上のシュガー・ベイブやナイアガラ・・・と、その後のフォーク・ニューミュージック界を賑わすことになるアーティストが、つぎつぎとデビューしていきました。
 でも、肝心のレコード会社のほうが傾いてしまって、ちょうどこの山崎ハコの出たあとに消滅してしまいました。
 ところが、最近そのエレックが復活しましたね~。
 社長は、吉田拓郎の「青春の詩」などのバックでドラムを叩いていた萩原克己さん!
 「かつみ」さんではありません、「かつき」さんです。
 当時所属だった、つボイノリオさんまで、昨年ラジオで間違えていました。
 お元気でしょうか克己さん、酒ばっか飲んでちゃダメですよ。(^^)